鈴鹿郡(1935年当時)
                                               鈴鹿の国方言研究会



 1935年当時の鈴鹿郡の概況

1935年当時の鈴鹿郡は、三重県北部に位置し、滋賀県との県境をなす鈴鹿山脈の南部から伊勢湾に向い東に開けた伊勢平野の一部からなる地域であった。 

当時の鈴鹿郡19町村からなり、現在では亀山市(大部分)、鈴鹿市(中・北西部)、四日市市(南部)、また、伊賀市(一ツ家)の一部となっている。

1942年に国府村、牧田村等14町村(河芸郡町村を含む。)が合併し鈴鹿市に、1954年には亀山町、昼生村等5町村が合併し亀山市となるとともに、翌1955年には関町、加太村及び坂下村の3町村が合併し、関町となった。こうした核となる合併に続き、合併せず残った地域の亀山市、鈴鹿市、四日市市への編入等が行われるとともに、1956年には鈴鹿郡関町大字加太一ツ家(面積: 0.2k㎡)は分水界を越えて阿山郡柘植町に編入された。そして、20051月には亀山市と関町が合併し現在の亀山市となり、「鈴鹿郡」はなくなった。

 時代を遡り江戸時代の幕藩体制下にあっては、当時の亀山藩が鈴鹿川流域の大部分を藩領としていたことから、鈴鹿郡は亀山藩領と重なる部分が多く、異なるのは津藩領であった郡南西部に位置する加太地区から関町古厩にかけて、また、久居藩領であった郡南東部に位置する安知本町から下庄町にかけての地域等であった。

主要な街道としては、鈴鹿川沿いに郡内を東西に横断する東海道が整備され、昔より人の往来の中心的な役割を果たした。
 郡内を流れる主な河川としては、鈴鹿山脈南部に位置する高畑山(標高773m)を水源とし東流し、伊勢湾に注ぐ鈴鹿川(1級河川、幹線流路延長約38km)と、その南にあり同様に東流し伊勢湾に注ぐ中ノ川(2級河川、同約21km)がある。